7章 子供にしがみつかない・・・。 |
もう日本人は忘れてしまったかもしれないが、
六十数年前、いわゆる戦前まで日本は
封建的家制度の中で
家族はその囲いの中で、お互いに縛られ、
所有しあい、
物理、心理ともに
支配されていた。
戦後、それが西洋的個人主義で解放され?
核家族という形態に変わっていって現代があるが、
果たして家族間でその所有意識や、支配意識まで
変革されたかは、
はなはだ疑わしい?
親から見ると
子供と言うものがいかに愛らしく、
自分の分身のように
尊い・・。
私自身もこの子供達の存在にドンナに励まされたか
しれない。
この子供達を産んだ責任と育て、守る責任感で
降りかかる荒波を超えられたことも
数知れません。
それくらい子供と言うのもは親にとっては
かけがえのない存在です。
しかし
一方
”家族”という特別に密接な閉じられた空間で
子供を自分の所有物であるかのような錯覚や
教育、しつけと称して、
むき出しの感情をぶつけたり、
また自分の感情や抑圧の捌け口に
子供にたいしてこころない言葉や行為をぶつけたりする
親の行為もあります。
外での緊張やストレスが
家のなかでは無防備になり、
思考停止になり
油断や甘えが、対子供に対しては
むき出しにぶつけられる・・。
親は一度子供の側からみた”親”というものを
検証したら、きっと
ぞっとすると思う。
防御の装置ができてないまま、
その柔らかい心に、
親の吐き出す毒や愚痴や或いは理不尽な言動や暴力を
まるごと、浴びる子供の苦しみや悲しみをみたら
きっとぞっとする・・と
私は思うのです。
親からシカトされ続けた子供も
います・・。
親は愛情と思うかもしれないが
子供にとっては理不尽な干渉であったり
ことごとく自由を管理されることであったり
また
ケースによっては
親と子供が逆転し
子供が親代わりのように親を精神的に庇護している
特に母親のケースが多いのですが、
たくさんある。
人間は生れ落ちた瞬間から
その”人間”を生きだすので、
親とは全く別の
”自立した人格”です。
子供は自分の脳と体のセンサーによって
独自に自分の”この世”というのを
学んでいきます。
もしその子供の脳のデーターと
意識の記述を取り出して公開出来たら
きっと親は、
余りにそれが自分の記述とは違うことに
愕然とすると思いますよ!
私達は"種”の保全ために子供を産みますが、
もしそうならば、なおさら
その子供達がより健全に健康生き延びていけるよう
心くばりをしなければなりません。
そのときやはり
”考える”と言うことが必要です。
感情に溺れずに
”親”という役割を
考えるのです。
親の私達が死んだ後も
たくましく雑草のように吾子が生きていけるためには
どのように育てたらいいか、
なにを教えたらいいか
親と子の関係をどのように創造していったらいいか・・・と
です。
親が子にしがみつくなんて
とんでもないです。
中には子のエネルギーを食いつくしながら
自分たちが生き延びようとする親も
ごまんといますよ!
親にエネルギーを奪われて
崩壊寸前の子供も
ごまんといます。
日本の社会や教育制度に絶望し
地下にもぐってしまった無言の目に
私達は気づかないと・・・。
今の世の退廃や混乱も
親の私達が作り出した混乱で、
私は息子に
『ちゃんと償ってから死んでね・・!と
言われています・・・笑い!・・・。
その意味でもこのブログをかいていますし、
ほんとうに微力ですが
志のある若者のサポートをしています。
人生を重ねてくると
いろんなことがよく見えてきます。
わたしもこのブログで若い人から
”上から目線でなにいうか・・!”なんて指摘を受けることが
ありますが、
上から目線でなにが悪い、とうぜんじゃ!
あんたらより何倍も荒波を超えて生きてきたんじゃー・・・!と
自信を持って反論・・!
大人が大人らしく
親が親らしく
自信を持って、
次に生きるものたちへ何をバトンするのか・・。
子供だけでなく
ナニゴトにもしがみつかなくても
ちゃーんと自力で生きれるよ・・!という
お手本をみせて
人生を閉じられれば・・と
思います。