賢い生き方・・・自分の器! |
それは有る意味とても大切なことでも有るんですが、
私の場合
とても小心で
自分の器は
なんて小さいんだろう・・と思う。
最近メシア症候群も取れて
他人に親切ではなくなったから
包容力なんて自己幻想も
干からびたし・・・。
ちょっとのことで
怯えてしまい、不安にかられ
小心際マリないんです私は・・・。
小心極まりないのに
それを忘れて
大胆なことや、
能力以上のことを引き受けては
墜落して、
苦しみます。
時々自分の身の丈を
忘れるんですな・・・笑い!
こういう自分の小心さをいつもこころして生きていれば
人生は安泰だと思いますが
ただ、ひとりの人間の中には
それ以外のキャラクターもあって
複合的に生きています。
場面場面で人は使い分けています。
人間のなかには家族がいるようなもんで、
子供のように純真な自分や
それを叱りつける親のような自分
そしてそういう家族をじっと観察している自分・・などなど
そのひとが”人間”を観察しながら学んできた
”人間のパターン”があると思います。
だから時に
子供のような自分と親のような自分が葛藤して
ねじれ現象が起きて苦しい・・。
私は小心なのにそこをはみ出して
いろいろやっちまう自分が実は
色々な自分の人生の新しい地平を切り開いてくれたと
思います。
用心深く、自分のテリトリーだけで生きていたら
無難で安心かもしれないけれど
自分と言う人間が豊かに広がることはないでしょう・・。
無防備で、
無鉄砲だから
思いがけない出遭いや状況で、
自分を磨くことができたと思います。
また自分の限定された体験や経験を超えて
他者の気持ちや人間の複雑さが
理解できてきたように思います。
我が身をわすれて
はっちゃけて・・・いつも
痛い目にあって
まっさかさかまに
落下して
ぺしゃんこになって・・・アレアレ・・。
でもオモロイです。
バカでアホデ
身の程知らずで
それでも
よろしおす・・・が
賢い人はそういうときに
自分を突き放して客観的に
見ているのだと
思います。
自分を客観的にみるには
体力や精神の強さがいります。
自分の弱さや
うかつさを
はっきりと自分に突きつけなくては
なりませんから・・。
自分を流してばかりいては
とうてい
できません。
自分の愚かしい姿や
哀れな姿を見るのは辛いですが、
そうしてね
静かに雪が降り積もるように
いつのまにか
自分が少しずつ
深く(賢く)なっていくのだと
思います。
もし
できるならば
私の残りの時間を
そういう愚かしいことをしても
自分が動ぜず
たとえ動じても
その愚かしさの結末を
ポンと自分の懐に
入れてしまえるような人間に
なれたら・・と
思います。
なれるように
努力しようと
思います。