2009年 09月 19日
種山が原・・・拝啓宮澤賢治様・・! |

早池峰山がみえる小さな山の草原に行きました。
そこは賢治が残した言葉
『きれいな青空とすきとおった風ばかり・・・』でした。
私はそのとき種山が原を思い出しました。近くの牧場には
馬が数頭親子で草を食んでいました。
拝啓 宮沢賢治様
『方十里 稗貫のみかも稲熟れて
み祭り三日 そらはれわたる』
賢治絶筆
奇しくも明後日21日は貴方の(賢治)の命日です。
今回花巻と遠野を旅して、ほんとうに心の底から
貴方がどんなにこの地を愛していたかが
解かりました。
もう数時間で貴方の命の火が消えようと言う時にまで
貴方は、律儀に正座して、農民の肥料相談にのっていました。
その貴方の律儀で正直なままのように
花巻も遠野の風景も
まっ黄色の熟れた稲の田んぼが
整然と美しく、上品で理知的で
あたかも
貴方の思惟を映し出したかのような世界でした。
ああ
ここからあの
こぼれるような数々の宝石の言葉が生まれ
ビロードの布に包まれた童話が
風に乗って私達の世に
降り注がれたのだと・・・。
波打ちながらうねるイギリス海岸の
濁った水も、透き通った溜まりも
およそ都会とは違う屈折率をとおして光り
サルビアもコスモスもカンナも
草原に咲く野の花も
貴方の掌からこぼれたように
可憐で美しい。
山はキラッとひかり
見渡す広々とした田んぼや畑の後ろには
稜線が影をなす山々が控えてありました。
早池峰山を見るために登った山の草原には
ほんとぅに、ほんとうに
透き通った風が吹いていたし
私のだい好きな詩
”高原”
『 海だべがど おら おもたれば
やっぱり光る山だぢゃぃ
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだぢゃぃ 』
そのものでした。
貴方でなくとも
これだけの風景なら
わたしもインスパイアーされて
言葉が天から降りてきそうでした。
でも
山から下りながら
下界に下りて来た時
なぜか
貴方にとッてそこが
苦界になったかが
わかるような気がしました。
貴方は翼をもった風の又三郎そのもので
山の上から、
樹のてっぺんの枝の上から地上を見て
風起す少年で
もう
それだけで
許されたのに、
もうあの水仙月の雪童子そのもので
もう十分なのに
ジョバンニのように
銀河鉄道から降りてこの下界に
帰って来てしまった。
汽車の座席から
カンパネルラが消えたとき
誰にも聞えないように
窓から顔を出して
力いっぱい激しく胸をうって叫んで泣いたように
もう、そこいらが
いっぺんでまっくらになってしまったのに
でも
地上に降りてきたんですね。
ドンナに心ぼそく
不安だったことでしょう。
その地上でだれが
貴方の言葉を理解できたでしょう・・・。
ああ
残念です。
もしそのとき私がいたら
賢治さんは
その輝く才能だけで十分です。どうぞ
天上で、天空で
思いっきり子供のように
飛び回っていてください・・と、
その存在に
オッケーを出してあげられたのに・・・。
翼をもがれて
普通の農民になるべく
自分に苦行を課して
貴方は
あんなに健脚で野山を駆け巡ったのに
とうとう
力尽きてしまった。
胸が痛みます。
でも
もうひとつの絶筆の句
『病ゆえにもくちんいのちなり
みのりに棄てば うれしからまし』・・・のなんと
つまらないこと。
『空晴れ渡り」のほうがよほど貴方らしいです。
いつもあなたはソウだったね。
空を掛けめぐり
宝石のことばをばら撒いて
ほんとうに生き生きしていた自分を
いつもどこかで罪悪化して
頭を垂れてしまうんだ・・・。
あの
○和風は河谷いっぱい吹く・・・と
○もうはたらくな・・・のように
同じ日に
二人の自分を書いている。
どんなに自分が伸び伸びと羽ばたくことを喜びながら
その一方で
自分を罰する・・・という不自由な世界に
貴方が生きていたのだろうと思う。
この桎梏から
私達は解放されなければ
ならない。
今に時代を生きる人間も
同様に
解放されてほしい。
宮沢賢治
そのひとが
どれほどステキな人であったか
そして同じように
たったひとつでも
自分のステキなことを
みつけたら
残りの自分がどれほど、
愚かで
アホでも
無能でも
許そうね・・・。
自分だけではなく
周りの人間も、
そういうふうにまなざしを
人間へむけられる
社会をつくらないと・・・ね・・・。
○
賢治はね
死んだ後、神格化されてしまったけど
私の知人が戦争中の花巻に疎開しているときは
土地の人間から影で
「ばかっこ」と呼ばれていたと
教えてくれました。
バカかどうかは別として
かなり浮いていたかもしれないね。
きっとその行動も
奇異にみられていたかもしれません。
まあ現実的には
あまり役にはたたない金持ちの
ぼんぼんだったらしいけれど、
でも
あの才能は
だれも及ばない!
私たち人間はみな
どんぐりと山猫にでてくる
”どんぐり”みたいに
みーんな
でこぼこで
へんてこりんで
いいのだと
私は思います。
ああーそれでも賢治の世界は
魅力がつきない!
私の
大切な
大切な
先人です。
素晴らしいひとでした。
●参考
『和風は河谷いっぱいに吹く』
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹く
起きあがったいちめんの稲穂を波立て
葉ごとの暗い露を落して
和風は河谷いっぱいに吹く
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
稲は次々穂を出しながら
茎稈弱く徒長して
しかも次第に結実すれば
ついに昨日の雷雨に耐えず
およそ相当施肥をも加へ
やがての明るい目標を
作らうとした程度の稲は
次から次と倒れてしまひ
こゝには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
しかもわたくしは予期してゐたので
やがての直りを云はうとして
きみの形を求めたけれども
きみはわたくしの姿をさけ
雨はいよいよ降りつのり
遂にはこゝも水でいっぱい
晴れさうなけはひもなかったので
わたくしはたうたう気狂ひのやうに
あの雨のなかへ飛び出し
測候所へも電話をかけ
続けて雨のたよりをきゝ
村から村をたづねてあるき
声さへ枯れて
凄まじい稲光のなかを
夜更けて家に帰って来た
さうして遂に睡らなかった
さうしてどうだ
今朝黄金の薔薇東はひらけ
雲ののろしはつぎつぎのぼり
高圧線もごろごろ鳴れば
澱んだ霧もはるかに翔けて
見給へたうたう稲は起きた
まったくのいきもののやうに
まったくの精巧な機械のやうに
稲がそろって起きてゐて
そのうつくしい日だまりの上を
赤とんぼもすうすう飛ぶ
あゝわれわれはこどものやうに
踊っても踊っても尚足りない
もうこの次に倒れても
稲は断じてまた起きる
今年のかういふ湿潤さでも
なほもかうだとするならば
もう村ごとの反当に
四石の稲はかならずとれる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
じつにさわやかな蒸散と
透明な汁液(サップ)の移転
この秋こそは祭りの晩に
赤シャツを着た道化師に
わたしの粟も豆もたべてくださいと
みんなでそれを投げたやうな
あゝいふ豊かな年が来る
あゝわれわれは曠野のなかに
芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りないでないか
※ べんぶとは踊りあがることです。
『もうはたらくな』
もうはたらくな
レーキを投げろ
この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために
おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が
次から次へと倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ
働くことの卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない
ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかさうとする、
卑しいことだ
・・・・・けれどもああまたあたらしく
西には黒い死の群像が湧きあがる
春にはそれは、
恋愛自身とさへも云ひ
考えられていたではないか・・・・・
さあ一ぺん帰って
測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし
頭を堅く縛って出て
青ざめてこはばったたくさんの顔に
一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け
どんな手段を用いても
弁償すると答えてあるけ
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by denshinbashira
| 2009-09-19 18:47
| 宮沢賢治
|
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