2009年 12月 07日
山のように、動かず・・・。 |
昨日稲フィルの演奏会が終了し
会場から出ようとしたとき、
私の前に坐っていた二人の40前後の二人のオバサンの一人が
「まあそこそこ、演奏できてるワネ・・・・」と
言いました。
明らかに私に聞えよがしに言いました。
多分、私が、その会場で一人だけ
スタンディング・オベイションをして
「素晴らしい!」を連発シタからでしょう・・・笑い!”
でもねえ、そのあとに
そのオバサンは、
「私、吹奏楽をやったことがあるのよ・・・」と
誇らしげに言いました。
・・・笑い!
よっぽど、
どこが、そこそこなのか・・言ってミロ!と
追求してやろうか・・と思いましたが、ねえ・・・、
吹奏楽をやったことがある・・・くらいでねえ・・・。
こちとらは4歳からピアノをやらされて、
音大まで卒業して、音楽の教師までやっちまって、
耳だけは、いや耳だけでなく教養だって
びしょびしょの人生ですから・・・まあ
今回の稲フィルの素晴らしさは
浅い人間には分らないだろう・・・と
自分を治めました。
若いときはこういうときは
直ぐ頭にカッときて
相手をに追求してコテンーパーに
したものですけど・・・。
こういうたかだか自分の
矮小なものさしで、
ものをはかり
えらそうにする・・ひとは
たくさんいますねえ・・。
でもね
ほんとうにすごい人たちは
自分の才能や能力は
たかだかしれたもので、
いかにそれに他人の能力をつけたしていくか・・・。
或いは
自分の足りないところを補って、
さらに自分を増殖さていく・・・ということが
できる人です。
限りない自己変革者です
裸の王様ではないんですね。
王様は両脇に、金銀、飛車角を据え、
飛び道具の桂や槍を配し、
そして前線にヒョコ(歩)を持ってくるでしょ・・・。
素晴らしい人たちは
他人の能力や
才能を
熟知しているんですね。
だから自分の秤がすべてでは
ないんです。
ことわっておきますが、
このことは謙虚・・・と言うことではありません。
そういう感情的なことではなく、
計算が
できる・・・と言うことなのです。
このことが分っていない人は
ごまんといます。
分っていない人の大きな特徴は
自分の事が見えないように
他人のことも
見えない!
つまり
自分がすべてなんですね・・・。
無意識のうちに半ば
自動的にそのものさしが
作動します。
でも
自前でできることなんで
たかがしれてますー・・・。
最近私は自分の事でつくづく考えることが
あります。
それは自分が他人からディスカウントされる・・・ことが
多いのです。
つまり、
はなから
みくだされたり、
粗雑に
扱われたり、
そこまで行かなくとも、
私が積み上げてきた内容や
価値を理解しない人と
つい
かかわって
消耗してしまう・・・などなど・・。
なんだかそういうことが
このところ続いてしまい、
なんで
この人達は
目の前にいる私がその人に大きな宝物を
あげていることに
気づかず、
しょうもない人間のほうばかりを
高く評価スルのだろ・・・と
憤懣が沸いてきました・・・まあ世の中というのいはそういうモンですけど・・・。
でもね
多くの人間は
自分の目に見える世界で反応しながら生きています。
目に見える世界というのは
既に現れた世界であり、
過去であり幻想の残骸であり
もう既に答えが出ている
有限の世界です。
私が対象化し、
相対化しようとしているのは
目に見ない世界
人間と物と世界との
関係で
極めて抽象的であり
未知の世界の追求です。
先日もレベルの低いアートを絶賛されて
同意を求められて
閉口しました。
あああー
もう他人とは
かかわりたくない・・・と
逃げ出しそうな自分がいます・・・トホホ
たとえばアートにしても
多くの人間が良い・・・と評価する作品は殆どは
もう既に答えがでて、形になり、
分りやすいもので、
そういう作品は
流通しやすい。
ほんとうのアーティストなら
現代に切り込み
今だ回答のない世界を切開して
挑みます。
だからそれは未知であり
難解であり、
それを理解できる人間も限られてくる。
しかしそれを追求するには
アーティストが渾身で切り込んでいくために
作品には
力が漲ってきます。
そのために
アーティスト達はきっと
自分との戦いや追求で
自分を切り開かねばなりません。
すごい戦いです。
常に自分とはナニか、
世界とはなにか・・・と
自分が問われ
世界が切り込んできます。
人間の現実を通して
現実の向こうに広がる無限の世界を
相対化し
掴まえようと思索する・・。
そういうことは
いわゆるこの世の実相を
突きはなし
遠く俯瞰して世界を見る・・・つまり
世俗的な価値を超越した
高等遊民
哲学や思想家の仕事です。
逆に
そういう位相から
世実をみないと
答えは有限の世界の堂々巡りしかでません。
現代はまさに
そういう堂々巡の団子状態で
特に政治の世界は
劣化がひどいです。
古い古い発想から一歩に出ることができない貧困です。
私は自分をディスカウントした人間に
憤懣しながらも
いや違う
まだまだ私自身が
自分の価値を
ディスカウントしているから
そういう人間とかかわってしまうと
思いました。
自分の価値が分っている人間は
きっと
山のように
動かないだろう・・・し
そういう足元で他人をディスカウントするような
ザコを相手にしない。
おそらく私の中に
そういう甘えがまだ残っているのかも
しれません。
自分の価値を知っている人なら
一切体裁を繕うこともなく
ありのままの自分を生きるだろう。
そしてきっと
自分のこころが動くことのみを
やるだろう・・・。
まだまだ、自分が脆弱です。
でも
すこし
自分が
しなけばならないことが
分って
きました。
会場から出ようとしたとき、
私の前に坐っていた二人の40前後の二人のオバサンの一人が
「まあそこそこ、演奏できてるワネ・・・・」と
言いました。
明らかに私に聞えよがしに言いました。
多分、私が、その会場で一人だけ
スタンディング・オベイションをして
「素晴らしい!」を連発シタからでしょう・・・笑い!”
でもねえ、そのあとに
そのオバサンは、
「私、吹奏楽をやったことがあるのよ・・・」と
誇らしげに言いました。
・・・笑い!
よっぽど、
どこが、そこそこなのか・・言ってミロ!と
追求してやろうか・・と思いましたが、ねえ・・・、
吹奏楽をやったことがある・・・くらいでねえ・・・。
こちとらは4歳からピアノをやらされて、
音大まで卒業して、音楽の教師までやっちまって、
耳だけは、いや耳だけでなく教養だって
びしょびしょの人生ですから・・・まあ
今回の稲フィルの素晴らしさは
浅い人間には分らないだろう・・・と
自分を治めました。
若いときはこういうときは
直ぐ頭にカッときて
相手をに追求してコテンーパーに
したものですけど・・・。
こういうたかだか自分の
矮小なものさしで、
ものをはかり
えらそうにする・・ひとは
たくさんいますねえ・・。
でもね
ほんとうにすごい人たちは
自分の才能や能力は
たかだかしれたもので、
いかにそれに他人の能力をつけたしていくか・・・。
或いは
自分の足りないところを補って、
さらに自分を増殖さていく・・・ということが
できる人です。
限りない自己変革者です
裸の王様ではないんですね。
王様は両脇に、金銀、飛車角を据え、
飛び道具の桂や槍を配し、
そして前線にヒョコ(歩)を持ってくるでしょ・・・。
素晴らしい人たちは
他人の能力や
才能を
熟知しているんですね。
だから自分の秤がすべてでは
ないんです。
ことわっておきますが、
このことは謙虚・・・と言うことではありません。
そういう感情的なことではなく、
計算が
できる・・・と言うことなのです。
このことが分っていない人は
ごまんといます。
分っていない人の大きな特徴は
自分の事が見えないように
他人のことも
見えない!
つまり
自分がすべてなんですね・・・。
無意識のうちに半ば
自動的にそのものさしが
作動します。
でも
自前でできることなんで
たかがしれてますー・・・。
最近私は自分の事でつくづく考えることが
あります。
それは自分が他人からディスカウントされる・・・ことが
多いのです。
つまり、
はなから
みくだされたり、
粗雑に
扱われたり、
そこまで行かなくとも、
私が積み上げてきた内容や
価値を理解しない人と
つい
かかわって
消耗してしまう・・・などなど・・。
なんだかそういうことが
このところ続いてしまい、
なんで
この人達は
目の前にいる私がその人に大きな宝物を
あげていることに
気づかず、
しょうもない人間のほうばかりを
高く評価スルのだろ・・・と
憤懣が沸いてきました・・・まあ世の中というのいはそういうモンですけど・・・。
でもね
多くの人間は
自分の目に見える世界で反応しながら生きています。
目に見える世界というのは
既に現れた世界であり、
過去であり幻想の残骸であり
もう既に答えが出ている
有限の世界です。
私が対象化し、
相対化しようとしているのは
目に見ない世界
人間と物と世界との
関係で
極めて抽象的であり
未知の世界の追求です。
先日もレベルの低いアートを絶賛されて
同意を求められて
閉口しました。
あああー
もう他人とは
かかわりたくない・・・と
逃げ出しそうな自分がいます・・・トホホ
たとえばアートにしても
多くの人間が良い・・・と評価する作品は殆どは
もう既に答えがでて、形になり、
分りやすいもので、
そういう作品は
流通しやすい。
ほんとうのアーティストなら
現代に切り込み
今だ回答のない世界を切開して
挑みます。
だからそれは未知であり
難解であり、
それを理解できる人間も限られてくる。
しかしそれを追求するには
アーティストが渾身で切り込んでいくために
作品には
力が漲ってきます。
そのために
アーティスト達はきっと
自分との戦いや追求で
自分を切り開かねばなりません。
すごい戦いです。
常に自分とはナニか、
世界とはなにか・・・と
自分が問われ
世界が切り込んできます。
人間の現実を通して
現実の向こうに広がる無限の世界を
相対化し
掴まえようと思索する・・。
そういうことは
いわゆるこの世の実相を
突きはなし
遠く俯瞰して世界を見る・・・つまり
世俗的な価値を超越した
高等遊民
哲学や思想家の仕事です。
逆に
そういう位相から
世実をみないと
答えは有限の世界の堂々巡りしかでません。
現代はまさに
そういう堂々巡の団子状態で
特に政治の世界は
劣化がひどいです。
古い古い発想から一歩に出ることができない貧困です。
私は自分をディスカウントした人間に
憤懣しながらも
いや違う
まだまだ私自身が
自分の価値を
ディスカウントしているから
そういう人間とかかわってしまうと
思いました。
自分の価値が分っている人間は
きっと
山のように
動かないだろう・・・し
そういう足元で他人をディスカウントするような
ザコを相手にしない。
おそらく私の中に
そういう甘えがまだ残っているのかも
しれません。
自分の価値を知っている人なら
一切体裁を繕うこともなく
ありのままの自分を生きるだろう。
そしてきっと
自分のこころが動くことのみを
やるだろう・・・。
まだまだ、自分が脆弱です。
でも
すこし
自分が
しなけばならないことが
分って
きました。
by denshinbashira
| 2009-12-07 20:04
| 賢い生き方!
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