自分の価値・・・・! |
極論すりゃー、
人間はついでに生きてるぐらい・・の意識のほうが
気楽でちょうど良くて
生きてることには
価値も役割もない・・・ということもいえなくもないが、
それでも私は、人間はそれなりに進化して、或いはしようとして
努力していると思う。そのことは
一人一人の人間におろしても同様で、
人の一生とはよくも悪くも
自分との格闘の中から一歩ずつ前へ進もうという
プログラムだと思います。
自分に取って自分の価値と役割・・というと
子供を産み育て、家族を支えてきたこととは別に
もっとも私らしい・・価値と役割があるような気がします。
それは自分が物心ついた時からいつも引っかかってきた
「自由」と言うことです。
自分でも分らないが
なぜか、「自由に」に関する事にたいして
いつも心が高揚しました。
本も映画もそのほか何でも
「自由」という言葉かがつくと俄然関心が湧く!
その原因の一つに
自分が親から束縛と心理支配を受けていて
いつも自由になりたいなあーという願望が
無意識あったこと。
もう一つ
父親の中に
封建的なことや世俗的形式に対する批判と抵抗があり、
彼はそこから自分を解放し
かなり自由に生きた人であった。
その影響と大胆さは
紛れもなく私の中にバトンされている。
だから私はフォーマルなことが大嫌いで
結婚式や葬式はもちろん、集団の儀式や儀礼などには
殆ど寄り付かない。
普段もたいがいラフな服ばかりで、
堅苦しいことはいっさいしないことにしている。
世間体を優先することは
まず
ありえない・・。
それでも私は自分は不自由だと思う。
自分の価値は・・・と考えだしてわかってきたことは
自分を不自由にさせている根源的なものは
私の脳と身体にバトンされた不安や怯えや恐怖で、
大きくは日本人、
個的には親の血筋から刻印されたものだ。
私自身の人生の後半は
いかにこの不安やおびえや恐怖を
取り除いて
私の心身が自由になるかという戦いだったように思う。
そのためにも
わたしは自分の自我を
洗いざらい検証してきたと
思う。
大変な戦いでした。
人間は
全くの自由でいいと
私は思っている。
これまでの人間が
お互いを意識で縛りあってきた時代は
多分解消されてゆくだろう・・。
それまで
どれくらいの時間がかかるかはわからないが、
人間のなかには
自分が自由に動き、生きることへの希求があると
私は思っている。
だから私の価値と役割は
「自由に生きる」・・・で、
それを実現してから
死ぬ・・・。
そのために
自分の中に潜在する
不安や怯え恐怖の克服です。
そしてその方法として
以下のことを徹底しようと
思っています。
○ 過去をどんどん忘れる
○ 未来を心配しない
○ 徹底的に”今・今日”を生きる
そして
○ 自分の中の不安や怖れや恐怖を取り除く暗示を徹底する。
○ 感情をできるだけ捨てる暗示をする。
今も相当の自由人ですけど
さらに
さらに
解放されます!
それも意識的にやらないと
実現できません・・・。
頑張ります・・・・!

