2009年 12月 12日
善く生きる・・・・ために・・・! |
以前にも書きましたが
人生の前半で見つけた自己防衛の方法は
後半に、それがブレーキになってしまうことが
多々あります。
人生の未知なる出遭いの場は
そういう自分がタメされ、また不安のなかの戦いの中から
自己防衛の砦がだんだん壊されてゆき
自己変革がおきてきます。
人生の前半が自己データーの収集なら
後半はその実戦と修正の時です。
私の場合も
だいたい30代に大きな自己変換の時が来ました。
結婚し子供を産み育てている最中の事です。
そしてもう一つ大きな変化は
息子と始めたギャラリーを経営するという
ビジネスの現場へ踏み込んだことです。
子供を育てるというのは
子供に投影された自分の問題性があらわれますから、
子育ての悩みの中に大きなヒントや答えがあります。
私も小学校に適応できない長女のことから
自分と言う人間のあり方の問題点を
洗い出しました。
ほんとうは社会や学校や他人のせいにしたかったけど
自分の心の底のそこにあった
今にもかすれそうに、見え隠れしていた自分の真実を
自分が認めるしかないと考えました。
そのときにも
自分のコンプレックスから来る
人間観の歪み、
更に感情の歪みなど
自分の自我にまとわりついている汚れを
しっかり認識し
取り除いていく・・という
辛い作業でしたが
何とかやりとげました。
人を育てる」・・・と言うことの本質は何か?
その本質に基づいて何を優先スルカを考え
機軸をはっきり、そしてしっかりと据えて
日々の生活の中の考察と行動をしていく。
第一の優先は
親のエゴに傷ついた子供達の心の救済をする。
第二は
子供たちが社会にでていき、私たち夫婦が死んだ後も
元気で自力で生きるような精神の基礎を築く。
まあ考えてみれば大変でしたねえ・・・。
でも、そこに気づかず、自分のエゴを拡大させていたら
今ごろは、ほんとうにどーしようもないオバンになっていたと
思います。
第二の転機は
ビジネスの現場に飛び込んで
自分がいかに世間を知らず
社会の中の落ちこぼれであるかを
思い知らされました。
家庭の中だけで、世の中のを知ったつもりで
えらそうにしていた自分の意識が
なんと甘えのひどいことか・・・。
お金を稼ぐ・・・ということのすさまじく厳しい現実に
自分の頭がついて行かず・・・もう
ほんとうに情けない状態でした。
ここでは自分の中にある甘えた感情を削ぎ落とすこと、
ほぼ全否定され、自分を挫かれ、
自信を喪失しました。
弱肉強食の現場では
常に本質的なところに焦点をあてて方針を打ち出していかなければ、
あっというまに駆逐されて呑みこまれてしまいます。
ビジネスの現場ですが、実はにんげんとは何かという
実相の世界で奇麗事は通用しません。
ものごとの本質を追求していないと
損が損を産み破綻へといっきに墜落していきます。
ここでも
自分のなかにある
よけいな感情を整理しなければ
なりません。
時間とエネルギーの戦いでもありますから
不毛で必要のない感情をドンドン捨てて
優先順位を決め、
論理的に機軸をたて
効率よく進行させていく・・・。
前回の時は
自分に短刀を刺して、
無理やり自分をみじん切りに切開し
自分の感情もプライドも
ズタズタになりましたが、
このときは
もう、ひるます
自分の感情を
どんどん捨てましたデス!
特に近視眼的に状況やものごとを見ない・・・。
時間枠の中で最も有効でロスの少ない方法を
考えださねばなりません。
頭はフル回転です。
なおかつ
ものごとが成就していくタメの
遠距離戦略と耐久力も必要で、
矛盾をそのまま抱えて持ちこたえる図太さも
必要です。
ああー
今考えると
あのオバチャン感覚の自分が
よくここまで来たなあーと
思います。
自分は世の中の人誰よりも
低脳だと・・・落ち込んでしまいましたが
今は逆に
自分の頭のキレがいい時は
ものすごく
楽しい!
感情と言うのは
自分の中の独特に自分らしいものですが、
ともするとそれが
色めがねになり
正しい判断ができなかったり、
本質を見誤ったりします。
常に
自分の感情を
客観的にみつめ
修正する必要があります。
自分に固着せず
だめなものは潔く
捨ててしまうことだと
思います。
人間の本質は
常に新しいことと出遭い
自分を変革して
生き延びる・・・ということだと
思います。
ソクラテスが言ったように
善く
生きる
ために
です。
人生の前半で見つけた自己防衛の方法は
後半に、それがブレーキになってしまうことが
多々あります。
人生の未知なる出遭いの場は
そういう自分がタメされ、また不安のなかの戦いの中から
自己防衛の砦がだんだん壊されてゆき
自己変革がおきてきます。
人生の前半が自己データーの収集なら
後半はその実戦と修正の時です。
私の場合も
だいたい30代に大きな自己変換の時が来ました。
結婚し子供を産み育てている最中の事です。
そしてもう一つ大きな変化は
息子と始めたギャラリーを経営するという
ビジネスの現場へ踏み込んだことです。
子供を育てるというのは
子供に投影された自分の問題性があらわれますから、
子育ての悩みの中に大きなヒントや答えがあります。
私も小学校に適応できない長女のことから
自分と言う人間のあり方の問題点を
洗い出しました。
ほんとうは社会や学校や他人のせいにしたかったけど
自分の心の底のそこにあった
今にもかすれそうに、見え隠れしていた自分の真実を
自分が認めるしかないと考えました。
そのときにも
自分のコンプレックスから来る
人間観の歪み、
更に感情の歪みなど
自分の自我にまとわりついている汚れを
しっかり認識し
取り除いていく・・という
辛い作業でしたが
何とかやりとげました。
人を育てる」・・・と言うことの本質は何か?
その本質に基づいて何を優先スルカを考え
機軸をはっきり、そしてしっかりと据えて
日々の生活の中の考察と行動をしていく。
第一の優先は
親のエゴに傷ついた子供達の心の救済をする。
第二は
子供たちが社会にでていき、私たち夫婦が死んだ後も
元気で自力で生きるような精神の基礎を築く。
まあ考えてみれば大変でしたねえ・・・。
でも、そこに気づかず、自分のエゴを拡大させていたら
今ごろは、ほんとうにどーしようもないオバンになっていたと
思います。
第二の転機は
ビジネスの現場に飛び込んで
自分がいかに世間を知らず
社会の中の落ちこぼれであるかを
思い知らされました。
家庭の中だけで、世の中のを知ったつもりで
えらそうにしていた自分の意識が
なんと甘えのひどいことか・・・。
お金を稼ぐ・・・ということのすさまじく厳しい現実に
自分の頭がついて行かず・・・もう
ほんとうに情けない状態でした。
ここでは自分の中にある甘えた感情を削ぎ落とすこと、
ほぼ全否定され、自分を挫かれ、
自信を喪失しました。
弱肉強食の現場では
常に本質的なところに焦点をあてて方針を打ち出していかなければ、
あっというまに駆逐されて呑みこまれてしまいます。
ビジネスの現場ですが、実はにんげんとは何かという
実相の世界で奇麗事は通用しません。
ものごとの本質を追求していないと
損が損を産み破綻へといっきに墜落していきます。
ここでも
自分のなかにある
よけいな感情を整理しなければ
なりません。
時間とエネルギーの戦いでもありますから
不毛で必要のない感情をドンドン捨てて
優先順位を決め、
論理的に機軸をたて
効率よく進行させていく・・・。
前回の時は
自分に短刀を刺して、
無理やり自分をみじん切りに切開し
自分の感情もプライドも
ズタズタになりましたが、
このときは
もう、ひるます
自分の感情を
どんどん捨てましたデス!
特に近視眼的に状況やものごとを見ない・・・。
時間枠の中で最も有効でロスの少ない方法を
考えださねばなりません。
頭はフル回転です。
なおかつ
ものごとが成就していくタメの
遠距離戦略と耐久力も必要で、
矛盾をそのまま抱えて持ちこたえる図太さも
必要です。
ああー
今考えると
あのオバチャン感覚の自分が
よくここまで来たなあーと
思います。
自分は世の中の人誰よりも
低脳だと・・・落ち込んでしまいましたが
今は逆に
自分の頭のキレがいい時は
ものすごく
楽しい!
感情と言うのは
自分の中の独特に自分らしいものですが、
ともするとそれが
色めがねになり
正しい判断ができなかったり、
本質を見誤ったりします。
常に
自分の感情を
客観的にみつめ
修正する必要があります。
自分に固着せず
だめなものは潔く
捨ててしまうことだと
思います。
人間の本質は
常に新しいことと出遭い
自分を変革して
生き延びる・・・ということだと
思います。
ソクラテスが言ったように
善く
生きる
ために
です。
by denshinbashira
| 2009-12-12 19:14
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