朝の祈り! |
神さまどうぞ、私の中から
不要なものをすべて、取り除いてください。
感情をを取り除き
怖れや不安を取り除き
ものの本質が見えるよう
お導きください。
心が迷うことを
取り除いてください。
執着を捨てて
身軽に生きれますように。
。。。。。。。。。。。
自分でも、どうして自分がそのような行為をするのか
そのような選択をするのか
分らないことがたくさんあった。
しかし
時間が立って振りかえってみると
点々としてあったそのようなことが
一本の線で結ばれていき
なーるほど、
ここに到達したかったのか・・・と
見えてくることが
ママありました。
自分では気づいていない
自分独特の反応現象があり、
その底にあるところの無意識の動機が
いつも自分を方向付けている。
この脳の
自動的な自分の反応を方向付ける手立ては
その自動的な反応に異議申し立てをするしか
方法はなく
故に
人間は考える・・・という
前頭葉の世界を発達させた。
人間は
ほうっておくと
どんどん自分の過去に書かれ自動化された脳の反応に
流されてしまう。
やはり、
常に考え
自分を意識化しないと
ダメなんですねえ・・・。
自分にとって
どういう自分の姿が
最も幸福であるか・・ということを
煮詰めていかないと
どんどん流されてしまいます。
自分の欲望や
コンプレックスを相対化して
検証しないと
やがてそれらに呑み込まれて
思いもかけない結末が
待っています。
私の場合は
自分がこの先生きて行くために
ほんとうに必要な
杖みたいなものだけが
必要で
おおかたのことは
執着する必要のないものです。
良寛の師匠の大忍国仙和尚は
良寛に印可を与えてこういいます。
良也、愚の如く、道、転(うたた)寛し
騰々任運 誰を得てか看せしめん
為に附す、山形の爛藤杖
至る処、壁間に午睡、閑かならん
約(わたしの解釈です・・・。)
良寛や お前さんは愚か者のように見えるけど
その行く手にはおおきな道が広がっている。
運を天にまかせ、あたかも、のほほんと生きているように見える
お前の内面の充実をだれも見破れないと思うよ。
さぁー、山から切り出したままのこの真っ黒い藤の杖をあげるから、
コレをもって何処へなりともいきなさい。そして
どこかの岩陰で昼寝でもしておいで!
なんて愛情溢れることばかなーと
思います。
この一年後に国仙和尚は死んでしまい、
良寛はそれまで修行をしていた円通寺をでて
放浪の旅に出て行きます。
三十四歳の三月のことです。
人間は生き抜くために
様々に自分を武装し防備の感情を
身につけます。
しかし
私にとって
それら防衛の感情がいかに
自分にブレーキをかけ
生きにくくさせていたかと
思います。
それらをはじめ
いろんなものを捨て去るには
勇気や決断が要りましたが、
ますます身を軽くして
良寛の如く
スタスタと歩いていけたらなーと
思います。