大切なものは他者に譲りわたさない・・・・! |
最も私が愛する作品・・・それが
「水仙月の四日」です。
最初から最後まで
語られる「言葉」が
宝石のようにキラキラしており、
描写の風景も色彩も
そして昨日ご紹介した挿入の詩も
賢治が練りに練って、これしかない・・と言うほどに
極められた言葉が
放たれています。
物語を読みながら、
読む者の感性も研ぎ澄まされてゆき
同時に読み手のイメージがドンドン磨かれて
開花してゆきます。
以前にも書きましたが
私は「神格化」されたり、
「義人化」された賢治が好きではありません。
賢治も私達と同じ地平で喜び苦しみ悩んだ
人間としての同志で、だからこそ
その生き様の中からこぼれおちた言葉に
私達は共感し、陶酔できるのだと
思います。
金持ちの息子で
天ぷらそばや
ビーフステーキが大好きだった賢治が
ベジタリアンに追い詰められてゆくそのプロセスには
当然ながら
彼を取り巻く環境と世俗の軋轢があり、
そこから逃避し
引篭もって書いてゆく童話の中ではじめて、
彼の言葉が
そのまま解きはなたれていったと
思います。
彼のトランクいっぱいの童話は
当時の世俗には受け入れられなかった・・けど
だからこそ、
その童話は
俗的な編集者の手で
無惨にはさみを入れられることもなく、
無理解な読者に消費されることもなく、
原型がそのまま
残ることができました。
彼の内面は世間に受け入れられないばかりに
ドンドン内向し
世俗に媚びることなく
その内部で言葉は無傷のまま
極められていきました。
私たちはどうしても、自分の中にある宝物に
気づくことが出来ず
逆に、世の中に受け入れられたものや
また、受け入れられようとしますが、
ほんとうはね
受け入れられたとたんから
その質に不純物が入ってしまいます。
かくいう私も
自分が受け入れられることを願う欲求に
悩まされます。しかし
賢治のこの美しいことばの群れを読むたびに
自分を戒めます。
自分の不純物が
光に転化していくためには
孤高に甘んじ
極めたいと思っています。
大切なものは
そうそう
他者に
譲り渡さない・・と
もんどりうってもがいた賢治のこころから噴水のように湧きおこる透きとおった言葉群だったと思います。

小学生の教科書で賢治に触れ、そのまま忘れていて、大人になってから、彼の詩の虜になる人は多いようです。
母の本棚に智恵子抄があって、それを何気なく読んでいるうちに、詩の世界にはまりこみ、彼らを追って東北を旅するうちに、花巻にたどりついてしまったというところです。
貴方のブログを読みながら思うことは、一人の人間の姿をとらえるには、本当に幅広い角度から切り込んでいかないと見えてこないということを痛感します。
校本宮沢賢治全集が最も客観的な資料だと思い込んでいたのですが、それも誤りであることを知りました。
嘉内の存在を意識するようになってから、また一つ見えなかったものが見えてきたように思えます。
賢治だけでなく、聖人化されたり、義人化されてしまう人達の真実はとかく偽装されてしまいます。
嘉内のことを公にするには70年近くかかりました。
その裏には、宮沢家や大手出版社の圧力が働いていました
さらに高瀬露さんに関しては、
賢治の年譜さえも偽造加工されてしまいました。
残念ですね。
それこそは賢治がもっとも嫌がったことだと思います。
賢治もさまざな偶有性の中で他者と出遭い、嘉内からもその他の友人からも影響を受けたりインスピレーションを交わしたりと、さらにどう生きるべきかと悩み続けて生きたと思います。
そこにこそ、賢治の詩と童話のリアリティーがあります。
賢治さん、やっと人として、ひとりの悩める青年として
いかにも人間らしい貴方を受け入れる時代がきたようです、と言いたいです。
コメントをありがとうございました。