子供のイジメも自殺もゆきつくところは、愛情の注ぎ方と信頼です。 |
子供の自殺は親の代理死だと、指摘しました。
これは親にとっては、耐えがたく厳しい指摘ですが、
子供の生きざまの中に、親の影が差しこんでしまうことは
もう避けれないし、
子供が乳幼児から幼児、
幼児から小児へと育成されてゆくその間に、
親から挫かれたその心の隙間に、
※親が無意識に子供の生命力を挫いたそのスキに
でもね、
親だって、どう生きたらいいかなど、
分からない中を生きています。
生きることは
自分が生まれ落ちた環境と関係(人間関係)の中を
生きるしかありませんから、
誰もが、
五里霧中の中を、
手さぐりで生きるしかないのです。
そんな中でもしお子さんがイジメにあったとすれば、
その時こそ、親は自分と子供との関係見直して、
そこから、
どうしたらお子さんが、イジメを乗り越えて
逞しく生きれるかを、考えたらいいのです。
そのことは翻って、親である自分の生き方をも、
照らしだす契機となりますから、
親も、それまでの自分の在り方や生き方を
考え、やり直したらいいのです。
その時
最も大切なことは、自分が子供に愛情を注ぎ、
そして子供に対して全幅の信頼をしているか、どうか。
さらに
子供が親である自分を信じ、信頼しているかどうか、
です。
ここんところの絆がしっかりと結ばれていたら、
イジメられても、大丈夫です。
子供に愛情を与えるということは、
本能的な愛情、感情的な愛情を与えることと、
少し違います。
そこには、自分の意識の中で考察した愛情が必要です。
その子どもが、自分が死んだあとも、
逞しく、社会を生き延びてゆくために、
何を教え、
何を援助したらいいか。
その子どもが自力で生きるために、
逆に
何をしたら、いけないか。
何を摘み取ったら、いけないかを
しっかりと考えて、
意識的な行動をする。
です。
これはほんとうに難しい問題です。
答えを知っている人なんか、
皆無に近いでしょう。
でも、考えないとね。
つまり、何かあった時こそ、
それを考えるチャンスなのです。
そして、その時こそ、
子供との関係だけでなく、
人間として、親として、そして家族として、
どのように愛情を注ぎ合うか、に、
気が付かなければいけないのですね。
相手がイキイキとするために、
子供が、その子そのまんまの自分を
逞しく成長していくために、
どのように愛情を注いだらいいかです。
このことは他の家族、夫や妻に対しても
同じです。
家族それぞれが自立し、お互いの自由を尊重し、
そこに全幅の信頼をおいているか。
子供のイジメも自殺も、
大人社会の歪みに対する、
子供のSOSだと
私は考えます。
大人社会とは、
小さな家族の単位から、大きな集団まで、
そこに、信頼と、
そして人間としての自重があり、
ささやかな愛情が流れていると
その集団はうまくいきます。
人間はいつも、自分の在り方を
問われているのですね。
自我を振りまわしたり、
他者を所有、支配しようとしたり、
自分の孤独を他人で賄おうと甘えたり、
人間がついつい無意識でしてしまうことを
しっかりと自重し、そして
意識的に自覚して、
信頼しあい、
ささやかな愛情を交換し合うことですね。
何でも、やってしまった後に、
ことが起きてしまった後に
人間は気づくのです。
だからね、
気づいたら、そこから
やり直せばいいのです。
まあ、
そういうもんなんです、人間は。
ネ!

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