跡形もなく消えていく為に遺す言葉
by denshinbashira
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2007年 02月 28日
京都に行く前から、
少しずついろんなことが気になりだして
とうとう今日は鬱になりそうになった。
ことの発端は
旅行前の
取り越し苦労・・・・。
そして体がスコシ弱っている。
からだの気迫がたりないので、
人と会うことが面倒になっている自分があります。
ウチのおばあさんは
強迫神経症で、
心配の種を捜してまわって生きている。
タネが見つかると
それを増幅(育てて)して
そこに家族を巻き込もうとする・・・・。
そういう姿を日常的に見ている私は、
自分の鬱の原因を
納得していますが・・・。
子供の頃の自分が
ことあるごとに
彼女の不安の中に連れ込まれ
些細なことに深刻になり
ずいぶん苦しんだと思います。
今朝
テレビでB&Bの島田洋七さんが
自分のおばあさんのことを話していました。
「がばいばあちゃん」のことで
私もその本を買って読みましたが、
「ウチは先祖代々の貧乏やから」
ということばや、
川上にスーパーがあって
そこの不良品の野菜が
どっぷらこ、どっぷらこと流れてくるのを
川に棒をかけてせき止めて、
拾って食べた話や、
とにかくそこ抜けに楽天的な生き方をした
おばあちゃんらしいです。
こんな風にいきたいなあー・・・!
私が鬱になるのは、
自分の中の自己防衛が
作動しているときです。
物質的にも
精神的にも
現状を維持しようとして
不安が募るのです。
いわゆる執着の為せる技です。
そんなこと
人間は何時どうなるか
解らないのに・・ねえ!
それに
何時
どんなトコに生きていても
人間は何とかなる・・・・。(自分に言ってます。)
脳は「今と未来」を
アレンジしてくれる器官ですが、
からだは現状を維持しようとします。
意識が覚めているときも
寝ているときも
私たちの潜在意識が
からだを一定のリズムで生命の保持を
図ってくれます。
だから
頭(意識)では解っていても
体(潜在意識)がついていけず
時に体力が無いとき、
そのねじれ現象が起きてしまいます。
私の体の中には
母親から叩き込まれた不安が
巣くっており、
取り越し苦労と
自責行為がフラッシュバックして
気迫の無いときに
鬱になります。
このくだらない
強迫観念だけは、
何とか自分のところでせき止めて
子供には
ここから立ち直った私の姿を見せてから
あの世いきです。
がばいばあちゃんを
お手本に
何とかがんばってみようと思います。
2007年 02月 25日
今日から京都に行ってきます。
そのためブログは27日までお休みします。
2007年 02月 23日
千葉の ギャラリー「七井土の灯」のオーナーから
電話があり、
今開催中の「加藤孝一 書と絵画展」に
たくさんお客様が来られているとのことで
うれしいです。
加藤先生と私の出会いは、
川越の蓮馨寺のそばに有る「轟や」に
鰹節とコンブを買いに行った帰り、
ふと見ると、
店のまん前にギャラリーがあり、
ちょっとステキな抽象画展をやっていた。
こんな田舎で・・・・?
でも、まあ・・・と
入ってみると
中に小柄な老紳士が座っていました。
絵は墨と朱墨とクレヨン、鉛筆などを使った
抽象絵画で、
コンクリートの打ち抜きの壁に架けたら
ステキだろうなーと
思いました。
線とフォルムを絞り込んで一気に描いた・・・と
いう気迫の絵で、
作者であるその老紳士と話が弾んで
ついでにデッサン帳を見せていただいて
びっくり・・・・・!
ささっと描かれた素描の裸婦は
ふくよかな女体の柔らかさが
香ってくるような
優しさがあり
ページをめくりながら
ワクワクして
欲しくなり、
一枚を衝動買いしました。
1万円でね。
その後先生からお礼の手紙が来て
再び
びっくり・・・?
筆でしたためたその字が
スゴイ!
かな釘流のように
てらいがなく・・・・・!
私の好きな松田正平画伯の字に
何処か似ている。
いわゆるかもし出す空気がデス・・・。
同じように先生の字に
反応した人間がいました。
偶然ですが、
ギャラリー「放哉」のオーナーは
送られてきた手紙を
額装して飾っていました。
ただ好きで
ひたすら描くことに人生を
任せてしまったという先生の
無欲さは
画壇の出世とは無縁ですが・・・。
だからこそ
通俗的な邪気が無く
その絵の先に
欲をそぎ落とした「あっけらかん」が見えてくる。
今回の「七井土の灯」には、
赤や朱で描かれた作品が
出展されていますが、
初日に先生に
エゴン・シーレの赤というかオレンジに近い赤と
何か似てますね・・・と
話しましたら、
僕ね、エゴン・シーレ 大好きですよ。
ということから
エゴンの師匠のクリムトより
エゴンの方が断然いいと思うと、
お伝えしましたら、
僕もそう・・・。。。と二人で盛り上りました。
世の中はクリムトのほうが圧倒的に
人気があり
シーレのほうは絵がエグイ分
あまり知られていません・・。
デモね
苦しみ
闘ったのはシーレのほうだと
思いますよ。
クリムトのほうがズーット凡庸ですが
何しろ絵柄が解りやすく
単純に官能的で美しい・・・。
でも
私はシーレのほうが
自分の芸術性と格闘し
人生をそこにかけたとおもいます。
才能は
圧倒的に
スゴイ!
こんなこと愚痴っても仕方ないけど、
加藤先生のカッターで描いた美しい線は
誰も真似ができない?
その、鋭い線が描き出す
女の肉体への賛美・・・!
このエロティシズム
この官能を
誰かわかる人はー・・・と
思いますが・・・・?
もちろん
七井土のオーナーや
うちのディレクターやデザイナーは
十分解っていますが・・・。
なんでも鑑定団の影響か
それとも日本人が
目利きではないのか・・・?
こういう優れた芸術家が
大切にされていない・・・。
でも、先生はそんな下俗を超越して
毎日、ひたすら描いているから・・・・。
私は脱帽・・・・デス!
2007年 02月 22日
今日はいよいよ書くかあー、
本当のことを・・・!
朝から高速を飛ばして
八重州の歯医者にいきました。
その車中ズーッと
ビリージョエルの2006年2月の
ニューヨークライヴのCDを聞きました。
プログラムの構成、演奏
本当にスゴイです。
ビリーが輝いている・・・!
聴衆と一体化して
彼の人生の歌が次々と語られる・・・。
最後に
イタリアンレストラン、ピアノマン
そしてAnd so it goes。
胸に迫ってくるものがありました。
先日スティービーワンダーのライヴを、
聞きに行ったとき、
駐車場の混雑を避けるために、
開場1時間前につきました。
時間があったので、
さいたまアリーナの
ジョンレノン美術館へいきました。
本当はあんまり思い出したくないんですが
結論から言うと
醜悪でした。
要はオノ・ヨーコの
自己顕示と支配欲顕示美術館・・・・。
入場して客が溜まるまで待たされて
ジョンとヨーコの歴史ビデオを
強制的に見せられました。
レノンは自由を標榜していたンじゃぁー
ないの・・・?
それも
いかに二人がいい夫婦であったかのように
作られたビデオ・・・。
私はジョンレノンを、
見たかったのであり、
別にオノ・ヨーコを見に来たわけでは、
アリマセン。
またヨーコの芸術性については
ほとんど興味が湧きません。
ジョンはひとりのアーティストとして
自立しているとおもっていたら
とんでもアリマセンでした。
ジョンは私のもので
ジョンの芸術は
私なくしてありえないとでも言いたげなヨーコは
何度も何度も二人の抱擁シーンやキスシーンを
強調します。
何でこんなことを
見せる必要が有るのでしょうか・・・?
本当に二人は愛し合っていたのでしょうかねえー?
それなら
そこで満たされているはずですから
こんなにまでしつこくやる必要は、
無いでしょうに・・・?
それこそジョンを主役にして
民衆に愛してもらうために
自分はしゃしゃり出てこないと
思いますよ。
本当にジョンを愛してるならば。
ああー!
それと
画面に映ったヨーコの、
攻撃的な表情や
意地悪そうな目つき・・・。
たまりませんねえー、
まあ完全なシャドウです・・・・。
初期の頃の、
はちゃめちゃなおバカなレノンが
最後のほうは病人のような顔つきになっている。
眼に眼力が無いのです。
大変な女性に取り付かれたなあーと
思いました。
失礼ですが
レノン晩年の
イマジンとか
ラブとか
私はどうしても
植物的な歌に思えて仕方アリマセン。
ためしにビリーの歌詞と比べてみてください・・・。
毒気を抜かれたなあーっていう感じです。
それに比べ
ビリーもスティービーも
歌が立体的で
喜びも悲しみも苦しみも
自分の人生におきてくる、
ありとあらゆることをネタにして、
生き生きと
歌っています。
だから、生きた臨場感の有る歌が歌えている。
なまなましいけれど美しいことばが
溢れ出ている。
つくづくレノンが気の毒ですが、それも
彼が選んだ道ですからねえー!
あそこに行くまで
ジョンレノンの晩年を知りませんでした。
これでも若いときはビートルズを
聞き続けた身ですから、
レノンが可哀想で。。。ね。
このことを書くかどうか迷いましたが、
やっぱり、
本当に自分が感じた事ですから
書きました。
ジョン、
本当はあなたたちも
奇麗事ではなかったんだね・・・。
君は
本当は何をしたかったんだろうか・・・?
もしかしたら、
ヨーコとの戦いから逃げた・・の・・・?
アアー!
それもね
今となっては知るヨシもアリマセン。
2007年 02月 21日
朝から3月にやる加茂縞の洋服展の
チラシを作っていたら
トウトウ頭がふらふらしてきている。
印刷機の解説書を読みながらやったので
頭のエネルギーを使いすぎたみたい・・・!
コンピューターと連動しているので
ものすごく緊張しながら操作をやっている。
若い人にはどうってことないと思うけど、
私の頭には荷が重過ぎる。
昔から複雑なことや
面倒なことは
誰かにやってもらっていたツケが
今来ている・・・とほほ!
それでも写真を縮小して
切り貼りして
やっと土台らしきものが
できました。
お昼ごはんを食べてボケーとテレビを見ていたら
加納姉妹が出ていて
5億円相当の貴金属を持ち逃げされたとか・・・!
すごいね
そんな高価な貴金属を
身に着けても
おっぱいをおっぴろげたドレスを着ていたんじゃあ
しょうがない・・・。
何時の頃から
こんな下品なことが
まかり通るようになったのかねえー!
お金だけが人生じゃあるまいに・・。
私たちの子供の頃は
良家の子女はたしなみ深く
奥ゆかしく
楚々たるものたれと
厳しく言われました。
今でも私は露出が多いのは
嫌だなーと思います。
それに
うちのおばあちゃんも
ひいおばあちゃんも
顔の眉毛にそりを入れるのは
玄人衆で、
素人のお嬢さんは,
眉をそってはいけないと
教わりましたが、
今は誰もが眉をそって書いていますネエー!
私は口紅をつける以外、
ほとんどお化粧をしませんが、
同様に若い頃の友達で
お化粧をしない
口紅をつけていない唇の
自然のピンク色に
ステキだなーと
見とれたことがあります。
その人もとても知的な女性でした。
40代の頃
教員をしていたときに
生徒から
ババアーと言われて
ちょっと悲しくなりその頃から
口紅をつけるようにまりました。
取り留めの無い話になりましたが
貴金属なんかつけなくても
ステキなお嬢さんは
たくさんいます。
何より、若いだけで、
こぼれるような
美しさがあります。
瑞瑞しいその美しさに
自信を持って
毒々しくしないで、
ほしいなあーと
思いすが、
古いんでしょうねえ・・・、
私は。
今日はまとまりも無く
これでおしまい!
2007年 02月 20日
おととしの12月に切った胆石の、
一年後検診に行くのを、
ズーットサボっていたが
ついに今日行きました。
去年の12月から下痢が止まらず、
それに胃や腸が時々痛むので、
ちょっと心配していたのですが、
多分大したことは無いだろうとの
ことでした。
12月と1月に
インフルエンザの予防注射を打ったので
そのせいか、ちょっと体調が優れません。
このところ胃が時々痛むので
先生に痛む場所を正確に知らせたいと思い
黒マジックでおへその上のその場所に
×点をつけておいたら
診察のとき笑われました。。。。!
先生が触診して、まあ大丈夫だろ・・でも
カメラ飲んでみる・・?といわれ
いや、いや、イヤ・・・・!又にします・・・。
実は病院に行く前は気分が重くて、何となく
疲労感に取り付かれていたのです・・・、ヤレヤレ
やっぱり病は気からですね・・・。
それと5日前からダイエットを始めました。
50グラムから量れる体重計を買い
朝と夜の体重差を600グラムに押さえる。
できれば毎日8000歩歩く
というダイエットです。
毎日8000歩はちょっときついですけど、
でも、なるべく歩くようにしています。
この5日間で約1.2kやせました。
それでもまだデブですが・・・。
50グラムから量れるので、
少しでもやせると
気分が乗ってきます。
それとね
ちょっと気づいたのですが、
人間の潜在意識は
生命維持の為に
現状を維持しようとしますから、
やせると、危機意識が作動して
減量を阻止しようとします。
だから最初はなかなか
体重が減らないのですが、
夕食のときに工夫して
満腹感を得るようにしています。
たとえば
コクの有るスープをたくさん飲むと、
そのスープが美味しいという満足感が
あれば
潜在意識は安心するのではないかと思います。
美味しいものをがまんするなんて・・・・!
逆に
美味しければ量が少なくても
満たされます。
今日はキャベツをたくさん刻んで
長いもと卵と小麦粉大匙一杯で
お好み焼きを作りました。
豚の薄切りと桜海老
紅しょうがとカツオぶしをトッピングにして
満足満足!
何事も満たされてこそ・・
次へいけるのかもしれません。
このダイエットが
成功しますように。
騰々任運・・・・・!!
2007年 02月 19日
雨降るしきるなか
スティービー・ワンダーのコンサートに
行って来ました。
埼玉アリーナーの、
大きなドームいっぱいの観衆が見守るなか、
手を引かれて
スティービーが登場・・・!
あっという間にいちめんにオーラーがただよい
その透き通った美声が
ドームを征しました。
正直に言うと私はビリージョエルの曲は
しょっちゅう聞いていましたが
スティービーの曲は、
有名なものくらいしか知りません。
それでもどんどん彼の歌声の中に
陶酔していく自分があり、
明快なリズムと高くハリのある声が
天を突き抜けた。。。
迫力満点・・・!
からだを横に振りながら
スティービーの、
頭の上からつま先までが共鳴し
全精力が歌うことに注がれ
スゴーイ!
胸いっぱいに
喜びに満ちたコンサートでした。
ビリージョエルの場合は
傷ついて、
何度も挫折するなかから
かろうじてよみがえってくる
繊細で孤独な心がありましたが、
スティービーの場合は
まさに神の申し子のような
圧倒的な存在感と
自信に溢れたメッセージが
天から降ってくるようでした。
私たちの孤独によりそって歌うビリーと
そして
「お前達しっかり生きろ・・・」
と激を飛ばす、
スティービー・・・・!!
それにくらべ、
つまらないことで足踏みして
私は
まだまだ、
生ききって
イナーイ・・・!
アアそうだ、
又明日から、
全身体当たりで生きよう!
と
元気ようように帰ってきました。
2007年 02月 17日

玄関の花です
昨日ふと、梅の花木を買おうとして
やっぱりやめた。
根っからの怠け者ですわたしは。
水を替えたり、
落花を掃除するのがめんどいので、
ドライフラワーをおいています。
でも
枯れた花とはいえ
とてもおしゃれな色です。
今日一気に「脳整理法」を読み終え
心の湖面が静かに凪ぎいている。
人の脳は、
その人生の偶有性に出会いながら
事象を整理し方向性を私たちに示唆し
創造性の引き金を作っている。
深層心理からの洞察も,
あわせて考えると、
私たちの内部には
素晴らしい創造性と生産性のタネがあり、
あとは
未知なる世界を恐れず、
そこを開拓する勇気
そして受けとめ生かす
チエと行動力・・・。
やっぱりネエー
自分というものが
宝の山なんですね。
そしてその宝の山に
ブレーキをかけているのいが、
さまざまに立ち起こって来る
不安や恐れ、ネガティヴな感情・・・。
それらをいかに克服し
ブレーキをはずすか・・・。
このことについては
私の持分で、
今少しずつそれらのワークショップの準備を
始めています。
それでね
まず、
この本を読んで欲しいと思います。
いわゆる科学としての
「脳」のメカニズムを理解する。
そして
いかに自分のポテンシャルを
信じるか・・・・!
本屋に行くとたくさんの
how tooモノの本が並んでいるけれど
それも悪くアリマセン・・・が
このブログでも何回も書いたように
自分の一番暗いところと向き合い
自分を救いだし
足かせ手かせになっている
心のブレーキをはずさないと
いわゆる周辺をうろうしたり
成功と失敗のエレベーターの
上下運動になったしまいます。
まず自分を救い出す・・・・。
いわゆる不安や恐れなど、
自分を脅している正体を
見極め
退治して
本当にすがすがしい自分から、
一歩を踏み出す・・・!
そんなことの為に
今準備をしています。
用意が整ったらお知らせします。
それでも
すべての答えを、
自分から引き出せるということを
信じて
たくさんのひとに出会い、
たくさんのことを経験し
自分を磨いて欲しいと
思っています。
わたしも含めてね。
では又。
2007年 02月 16日
すっかり太ってしまった体重を減らすべく
一時間ほど散歩に出た。
先週の金曜日は
ろくすっぽ食べないで
一時間半歩いたら、
後半の15分くらいから
体がフラフラになり、
坂道の途中で、
何度も土手に寄りかかって休み、
ほうほうの態で、
やっと家にたどり着いた。
キソ体力が無いんです。
せっかく歩いたのに、
坂の途中でチョコレートを一本、
栄養補給の為に喰っちまって!
トホホ・・・デス。
散歩の途中で茂木健一郎の
「『脳』整理法」という本を買った。
この人の本は読み出すと面白くて、
学者なのに、とても文才がある。
文脈も解りやすく、
あっという間に70ページあまりを、
読んでしまった。
あと加島祥造の「タオ・老子」
これは「老子」の81章の英文訳を
日本語に約し「詩」仕立てにした本で、
ただ約したのではなく
加島氏の心の躍動が加味されているらしい。
本屋で、最初のページを立ち読みしただけで、
私の心も躍りました・・・・。
腕のいい料理人の上品なお料理をいただくような
ワクワク感があります。
ちょっとだけ、
第一章から
まずはじめに
名の無い領域があった
その名の無い領域から
天と地が生まれ、
天と地のあいだから
数知れぬ名前が生まれた。
だから天と地は
名の有るすべてのものの「母」といえる。
聖書の創世記、天地創造第一章のような
格調を感じます。
昨日もハイヤーセルフのことを
書きましたが、
人間はそれぞれ自分の文脈を持って生きています。
それは人生脚本という幼児期の原体験を元に
その人間の生きることが大まかに方向付けられて
いるからです。
その原体験を元に
私達は日々生きるなかで、
さまざまな事象に出会い体験しながら
自分なりの人生観を積み上げていきます。
すべての人が、
生まれて、生きて、死ぬ
という文脈の中で
それでも一人一人が
独自の形容をしながら
人生をこなして生きます。
誰一人として
同じものはアリマセン。
茂木さんの「脳」の本を読みながら
老子の「タオ(道)」の言葉を聴きながら
つくづくと人間の凄さに感嘆しています。
ハイヤーセルフは
自分の文脈と他者の文脈から
有る普遍性を読み取ります。
だからこそ、
人間は自分と他者との
或いは
自己の内的世界と外在する世界との
バランスをとって
自分が滅びないように
無意識のところから
私たちを支えています。
すごいね・・!
今日は本当はね
本屋に並んでいる
HOW・TOOもの本について書こうと
思ったのだけれど、
それは明日書きます。
今日は
この二つのステキな本を
ご紹介して
おしまいに
します。
では。
2007年 02月 15日
人の脳は本当にいいわけ上手で
いくらでも都合よくアレンジしてしまいます。
昨日書いたハイヤーセルフも
真実を聞く以外に使うと
やっぱり道をはずしてしまい、
かねません。
特に自分を哀れんだり、
自分の依存的感情で、
寄りかかったりすると
単なる思い込みの強化につながりかねませんから、
要注意です。
が
逆にその真実を、
見極めることができたなら、
そこから発展させて
未来のビジョンがみえてきます。
人は無意識の内にその人生脚本に基づいて
行動しますから、
人生脚本の本質のところを
理解してしまえば
大体傾向がわかるのです・・。
一昨日車中で見えたビジョンは
私の杞憂を吹き飛ばすほど
確かなメッセージをくれました。
また私が、
何をしたら良いかを
教えてくれました。
わたしのまわりの人々がどんな風に
自分を生きようとしているのか、
そして私の役割は何なのか・・・。
どうやら、
私に生産性は期待できませんが、
自分を磨くことに専念するだけで
皆さんの
お役に立つようです。
とりわけ何をすると言うこともなく、
ジャリン子チエに出てくる
花井のオッちゃん見たいに
ぶらぶら遊んで暮らしていて良い・・・との
メッセージでした。
ヤッホー!
前にも書きましたが
生産性から離れることにより、
世の中がよーく見えてくることもあります。
方丈記を書いた鴨長明が
高い山の上から、
乱世の都を眺めていたように
渦中に入ってしまえば見えないことも、
群れを離れてこそ
見えてくるものです。
私にどこまで見えるか
解りませんが、
ジタバタするな、流れに身を任せていろ
ということでしょうかねえ・・・・!
まあそういうことなので
今日はこの辺で・・・・。
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