自分に愛情を与え続ける! |
愛されたいとおもっているでしょう。
そして
誰もが
愛情をもらいたい、
愛情さえあれば・・・とおもっているかもしれませんね。
でもね、
誰もが、そういう受け身で愛情を求めているとしたら
誰が
愛情をくれるのでしょうか・・・?
親が、
夫が
妻が
友人が
先生が
ペットが・・・ですか
不特定多数の
大衆がですか・・・?
でも
そういう人たちも
実は
愛情をもらいたい・・・と
思っているとしたら
誰が愛情を
くれるのでしょうか。
神様ですか、
ほとけさまですか
残念なことに
神様も
仏様も
全部
人間の文化が造りだしたものです。
実は私は
この
”自分が他者から愛情をもらいたい”・・・ということを
どこかで卒業しないと
人間は
行き詰まると
思っています。
人間は誰もがどんぐりの背比べでね~。
誰もが
その人間の人生が尽きるだけの分しか
エネルギーが
ありません。
だから人間は死ぬんですよ!
人間のトラブルのほとんどが
他者からのエネルギーを奪うことから始まります。
トラブルはすべてと言っていいくらい
依存と甘えによる
お互いのエネルギーの奪いあいです。
他者に依存することも
自分の中の甘えを許すことも
すべては
他者のエネルギーを
自分用にほしいということですね。
以前にも書きましたが、
人間が目が覚めている状態は
脳と体が軽い集中の中での理性で統制されている状態です。
しかしその状態に
少しでも
甘えの欲がでたり
依存する心がおきると
その統制がポロッと崩れて
脳と体が不安定な状態になってしまいます。
そうなると
今度は
統制が崩れたスキマから
どんどん不安がはびこり
理性がよろけ
迷いが始まり
それをカヴァーしようと
脳がどんどん
シュミレーションを始めます。
そうなると心理はどんどん
不安のスパイラルの中におちてゆきます。
まあ、それがいわゆる取り越し苦労や
神経の不安の強迫になって
自分が作り出す不安と恐れのスパイラルで
それまで
理性でしっかり支えていた”自分”が
崩れてしまうのです。
こういうことがわかってきたとき
私は
はっきりと自分に言い渡しました。
自分の中の依存や
甘えを
取り除くこと。
決して他人に依存しないこと。
それには
自分への愛情は自分で
まかなうこと。
できるだけ解決できることは
自分で解決すること。
そして
解決する能力を磨くこと。
誰もが
自分のことで
精いっぱいなように
他人も自分のことだけで
せいいっぱいなのですから
他人からのエネルギーを
奪わないこと。
なにかトラブルがあっても
まずは
自分の中の依存と甘えがないかどうかを
検証する。
そのことを決めてから
私の
シャンとした人生が始まりました。
他人のエネルギーを奪わないということは
他人の自由を奪わない・・ということでもあります。
他人の自由を奪わないということは
他人は
常に
自分の想像や想定通りにはならない!
ということです。
こんなこと、もうわかっている・・・とたいがいの人は言います。
しかしね~え~。
自分がイライラしたり
自分が落ち込んだり
怒りが来たり・・・ということも
多くには
無意識に他人に
自分の思い通りに動いてほしい!
そういう風になってほしい!
という意識が作動しいるから
そうなるんですよ!
もう固定観念化して
他人の行動を
自分の都合に合わせて設定している人こそが
他人に裏切れられたとか
他人が以外な行動をすると
そこで苛ついたり
するのですね。
他人とは
自分とはまるきり別ものの世界を生きている人間である
という
明確な
認識がない限り
人間は無意識に他人への期待をしてしまうのです。
他人の感情が、
自分と一緒のような錯覚や
他人の行為が
自分の思いと一致するような
錯覚を
してしまうのです。
他人とは、まるきり、自分とは別ものの世界をいきている・・・という
明確な自覚がないから
他人と自分を比較したり
他人とか世の中の言動に左右されたり
それに翻弄されて
自分をディスカウントしたり
落ち込んだりするのです。
脳の世界からみると
人間はそれぞれが独自の
自分の脳のカプセルの中でいきており
いわば誰もが
唯我独尊で生きて居るのです。
ただの自分を生きて居るのですね。
自分が集めた情報も
自分に合わせて集めた情報で
その自分の情報に基づいて
生きているだけのことです。
極端にいうと
人間関係は
お互い誤解の上に成立していると
いえなくもない!
だから
誤解されるのが
あたり前なんですね!
でも
人間は自己イメージを誤解されると
傷つくのです。
だから、
誤解されても
平然としていることです。
こういうことが出来てくると
他人からエネルギーを奪われることも
なくなります。
なぜなら
すべてが
自分に帰結してくるからです。
そして
他人のエネルギーに依存し
他人からエネルギーを貰おうとしている人間に
他人からエネルギーを奪おうとする人間が
すり寄ってきます。
なぜなら
他人に依存すること自体が
自分への厳しさがない
スキだらけの人間にしてしまうからです。
そういう脇の甘さを嗅ぎ付けて
そこにスルリと付け入られてしまいます。
まあ、
そういう人は、そういう人たちばかりで
群れていきます。
自立するということは
そういう甘えをきっぱりと捨てて
さらに
他人から愛情をもらうことを
卒業して
自分が自分で埋め尽くされることです。
貴方の限界のあるエネルギーを大切にします。
貴方の自由を保障します。
だから私も私の限界あるエネルギーをお分けすることはできません。
そして
私も私の意志に基づいて自由に生きていきます。
それは、男女の性愛においても
親子の愛情交換においても
また
友情においても
すべて
対等です。
だからといって
堅苦しいこころ
堅苦しい精神では
ありません。
そういう風に
自分が
すくっと
大地にしっかり根を張って立ったときこそ
心に余裕ができてきて
自分にも
他者にも
優しいまなざしを向けることができるのです。
そしてそれは
自分という
この世にたったひとつの
かけがえのない命である自分に
愛情を与え続けるということです。
決して自分を否定せず
たとえマズイことをやっちまっても
それでいいよ!
と優しいまなざしを向けることです。
このたび""YouTube"で
いろいろなお話をすることになりました。
まずは
・物語の中から奔放に読み取ってみよう!というシリーズで
今回は
「竹取物語」と
「シンデレラ」を取り上げ
女優の本田絵美さんと対談しています。
どうぞよかったら、みてださい!

梅を描きました。
もうチラホラと咲き始めていますね~!