大衆社会はなぜ退廃するか その1.なぜ人々は根無し草になるのか? |






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2023年 05月 20日
まず、意識と心理から入ります。 心理とは、人間の行為行動を動機づける脳現象です。 人間は殆どを無意識のうちに選択しながら行動しています。 意識は、必要に応じて心理の表面に現れてくる、 その人間の自我の行為行動の ![]() 意識的行動を示唆する解決書でもあります。 つまり自分がなぜそのような行動、行為をするかを脳が自分に説明し、 次に進むために、 ![]() それが意識です。 では本題のオルテガが指摘している大衆の姿として 人間が心の拠り所を無くしたり、 どう生きていいかわからなくなる一つの原因は何かというと、 文明によって、 さまざまなことが用意され、準備されているからです。 人間は体験しながら、経験しながら、考え答えを探して、 意識が賢くなるのですが、 文明が行き過ぎ、さまざまな事を 人間が解決するのではなく、 機械や機器が代行し、 利便性が高まりますが、その一方で、 ![]() 人間の脳の中が空洞化して、 自分では ![]() 脳の体験知や経験知のデータの積み重ねもなく、 知識も考察するトレーニングも貧しい人間が、 世の中で彷徨い浮遊するのは当たり前ですね。 現代社会で、これ以上文明が進めば進むほど、 そういう人々が増えていくという事です。 人間は、 ![]() ほぼ無意識の欲望や 恣意的衝動で行為し、行動してしまいます。 そういう人々の群れができた時、 小頭がきく小狡い人間が、彼らをマインドコントロールしていくのは、 いとも簡単です。 そういう風に盲目的になっている人々の、 不安心理や感情に甘い言葉を囁き、勘違いさせ、 自分に依存させ利用していくのも、いとも簡単です。 それがファシズムや独裁の始まりです。 現に今、そういうカルト宗教にたくさんの人々が引っ掛かり、 それを政治が利用するという、 本来あってはならないとんでもない事が、この日本ではまかり通っています。 つまり日本ではもうその素地ができつつある、という事です。 ではなぜ日本の大衆は、マインドコントロール可能になってしまったか。 その根本的な原因は様々にあると思います。 どうぞ皆さんも、 それぞれ考えてみてください。 色々と、思い浮かぶ事があると思いますよ。 私が考えるそのひとつは、 戦後のテレビ文化などで、 情報が画一化され、また人々が 自分で考えなくても、それなりに生きてゆける豊かな社会になった事。 脳は危険や危機を感じると、活性化して働きますからね。 余り危機感がない中、 大人達の知性がどんどん稚拙化していったことや、 戦後教育で日本の世の中が、 ![]() #
by denshinbashira
| 2023-05-20 05:35
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 20日
偉大なる理念としてのデモクラシー、そして主権在民の日本の 大衆が主役となった社会はなぜ、 社会が退廃するのか。 ホセ・オルテガ・イ・ガゼットが「大衆の反逆」を発刊したのが1930年、今から100年弱前の時代です。 労働者階級が主権を持つ共産主義国やナチスなどのファシズムが台頭して来た時代です。 つまり大衆社会をバックに、単一の主義や価値しか認めず、言論統制する歪んだ社会が台頭して来たのです。 そしてせっかくデモクラティックな社会になったのに、反動が起き、ファシスト達の独裁にやられてしまいまいます。 この時オルテガが考えたのは、 すべてにおいての前提である、 大衆社会こそに問題の根があるのではないかと言うことです。 大衆の存在そのものに、原因があると彼は考えたのです。 そして、では大衆とは何かと分析しました。 断って起きますが、 オルテガが指摘している大衆とは、 無名の人々、足を地につけて黙々と働き生きる人々ではありませんよ。 むしろオルテガは、そういう人々を尊敬していましたし、私もそうです。 オルテガが指摘する大衆とは、 ![]() 自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、 他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、 そのような人々全部である。 つまり平等という意識によって平均化、画一化され、 独自の考察力や客観性に欠け、他者や集団に同化するを良しとし、 世の動静に流されて、 自分の規範や生きる拠り所をなくし、 根無しの浮き草のように生きる人々です。 こういう人々は、個性のある人間を押しつぶし、こういう人間が権力をもった時、 その凡庸な精神が非凡で秀でた個性を積極的に抑圧していくと、 オルテガは書いています。 なんだか今の日本の現状と似ていませんか。 このオルテガの指摘の中 特に、自分と他人とが同一であるような錯覚は、かなり深刻だと思います。 本当は、人間一人一人がまったく別ものであり、 極論をいえば、断然を介してしかわかり得ないのに、 他者を自分と同じようだと錯覚してしまうこの脳の ![]() もしかしたら人間関係におけるトラブルの大半の原因になっているかもしれません。 ただ私はオルテガ指摘している事は、オルテガが書いているような、 大衆の持つ属性ではなく、 もっと根本的な事として、 ![]() そして、これからは、 脳の原理と属性を解析していく事が、 ![]() ![]() ![]() 少しずつ、わかりやすく書いていきます。 #
by denshinbashira
| 2023-05-20 05:33
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 16日
シリーズ「終わりを意識して書く」は、 私自身の人生の時間がもう余りない事を自覚した上で、 主には 1、これから来るであろうAI社会について。 2、人間の自我の問題=脳の二重性の問題。 3、現代のI T大衆社会の液状化現象の問題 を書いてきました。 更に考察を進める為に、嘗てより読まなくてはいけないなぁ〜と考えていた オルテガの大衆社会論「大衆の反逆」を読み終えました。 大変難解な本でしたが、読み終えて、まず、 私が観察し、懸念していた大衆社会の問題性と、ほぼ一致することに、深い感慨が有ります。 この感慨は決して喜ぶべきものではなく、 その洞察の深さと慧眼によって顕された 人間社会へのある種の絶望感に裏打ちされた警鐘の深さに対する、 嘆息的感慨です。 あゝ、やっぱりそうか、と言う感慨です。 この光景を漱石もドストエフスキーも見ていたのか、と言う感慨です。 ただ、ただね、彼らもオルテガも、 それを、人間の存在の属性の矛盾と考えていますが、 今回私は読んでみて分かったのは、 それはむしろ ![]() 社会へと現れ出ているのだと思います。 この事を少なくとも高い知性を以て理解できる人々が 現れる時、 出口が見えてきます。 そうなるといいですね~。 そうなるように、 できたら、なんとかわかりやすく、書いてお伝えしたいと思いますが 書けるかなぁ〜。 どこから書き始めるか。 今私の脳が、 #
by denshinbashira
| 2023-05-16 20:58
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 12日
私ね、最近なんて自分はアンポンタの大間抜けであるかと思います。 先日G7の写真が新聞に載っていましたが、それを見ながら思ったのは、 なんかフワフワして、シャキッとしていない。 それは、日本の世論もマスコミも 同じじゃないかと。 そして思い当たってハッとしたのが、もしかしたら、 日本だけが世界情勢に乗り遅れているのではないか、という事です。 結論から言いますと、 ついこの間まであったグローバルスタンダードが、イギリスのEU脱退頃から崩れて、 トランプ出現の時にはもう、 日本を除く世界中の国々が ![]() いまだ、日本政府も日本人もが、グローバルスタンダードの幻想から覚めていない。 ウクライナ戦争に各国が動かず武器だけを供与しているのも、 単に核戦争になるのを回避しているだけではなく、 自国の利益を優先しているからで、 日本以外は 冷やかなくらい現実的自国エゴに徹しているのではないか、と思います。 情けない事に、日本はG7やアメリカの腰巾着番頭に、成り下がっている。 もし台湾有事が始まっても、アメリカが日本を利用することはあっても、 アメリカが日本を助ける事はありえない。 だからといって、短絡的に日本も軍事武装しろと、言っているんではないんですよ。 今の緊張関係からいうと、そんなに簡単には台湾有事は起らない様に思いますが、ほんとうのところは、 私には分かりません。 もし起きても、アメリカと中国はすぐ収束をはかるのではないかとも、 思いますが、分かりません。 北朝鮮の事にしても、日本にくらべ韓国は恐ろしいくらいしっかりしていますから、どうなのでしょうか。 国民一人一人がしっかりと考えなければなりませんね。 それよりか、その前に日本の社会は液状化して崩壊することの方が、 私にはリアリティがあります。 日本の社会がなぜ液状化するかと言うと、 これまでこの国にあった素晴らしい文化が消えつつあるからです。 日本人の屋台骨のような、 ハッキリした知性が衰えてしまったからです。 特に若い世代は確かにYouTubeやTikTokで見ると才能はキラキラしているのですが、 それが文化に結実するためには、恐ろしいくらい教養がなく、短絡がひどいです。 そこにITの断片知識が入り込み、 深い洞察も、持続的思考も無用になっているのだから、 知性や文化が液状化するのは当たり前ですね。 そしてもっと深刻なのは、 日本という国の顔が消えかかっている事です。 この国が特別な成り立ちと歴史の中にあるという誇りと認識、更には深い影と光。 ![]() 消えそうになっている事です。 日本は温帯の四季に恵まれ、四方を海に囲まれた美しい島の国です。 四季折々の豊かな自然の中で、 山海の幸に恵まれ、 水の豊かさは米を始めとする五穀豊穣の国を作りました。 その、世界のどこにもない地勢と環境の中で、 素晴らしい独特の文化を生み出した国なのです。 古代万葉から何かあれば和歌に歌い、ものの哀れや幽玄、江戸時代には花開いたさまざま文化や武士道など他国には決してない 独特の文化や知性をもち、常に自立と独立の気勢を持つ国であったはずなのです。 ところが今はどうでしょう、 そういう自尊心もなく、 アメリカの腰巾着のようであり、 G7の鞄持ちのようであり、 もうおわかりだと思いますので あとは書きません。 何がどうなったのか。 私はその原因の一つは戦後私達が作り上げた大衆文化だと思っています。 大量生産と大量消費の文化。 学歴偏重の教育。 マスコミやメディアが価値付けをする国。 他人の顔色を伺い、 事なかれ主義にまかれ、 とにかく平和に暮らせれば、 そこで満足してしまう国民。 私自身も、 なんとウカウカしてしまった事かと、後悔しています。 私自身も、自分がどう生きたらいいかが分からなく、 ずいぶん彷徨って生きてきた気がします。 さて、戦後の大衆社会ですが、 私は決して大衆をバカにしたり、みくだしたりはしません。 大衆の中にある逞しい生命力は 最終的には、その底力で社会を支えるからです。 しかし今の日本の大衆社会は、以前の様に自立した大衆社会ではありません。 もともと大衆の中にある自立心がすっかり消え、 ![]() 特に日本人の依存の激しさは深刻です。動物にまで依存するのですから。 流行を追い自分で考えず、時流に流されてゆく大衆です。 消費文化にどっぷり浸かり、 批判精神も、反骨精神も持たずに 傍観し、 その知性がどんどん縮んでいる大衆です。 安いものに群がり、お得が好きで、 誰かが流したデマに踊らされ、 あっという間にティシュを買い漁る大衆です。 情けないほど、その知力も知性も誇りも失くした大衆社会です。 そこには、もはやあの眩しく輝いていた 日本と日本人のアイデンティティは有りません。 2000年の素晴らしい伝統と文化。 人々の中に流れていた暗黙の規範。 独特で美しい感性。 お互いさまの共同思想が、 消えつつあるからです。 もう確固たる自国の信念を持った国ではなくなりました。 足がない日本人。 顔がない日本人。 そうならない為に、取り戻しましょう。 たとえAI社会になっても液状化せず、伝統や文化の上にしっかりと立ち、 海外の情勢に踊らされない日本人です。 大量消費で、大量のゴミを排出する文化ではなく、 節度と抑制を持つ文化と経済の国に、です。 無理かなあ〜。 #
by denshinbashira
| 2023-05-12 09:04
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 11日
どんどんAI社会、AI経済へと突き進む社会の一角で、 新しい経済のシステムとはいかなるものか。 ただほんとに申し訳ないのですが、 私は作家のただのおばあちゃんで、 こういう事では全くのど素人ですので、詳しくは分からないまま、書きます。 多分不備や考察もれがあると思いますが、 とりあえず、書きます。 ![]() ![]() なぜ大衆社会と訣別しなければならないかは、次回書きます。 大衆経済のシステムではない、 新しい ![]() 最も大切な事は、 これまでの既成観念や、従来の大衆社会の発想法などには捉われない事。 思い切って頭をシャッフルし、 全く新しく、直感的に良いと思うことをジャンプしながら発想していく事です ![]() それを踏まえて、 ![]() これが一つめの課題です。 それは、大量消費ではない、 ![]() これはある程度閉じたマーケットでいいです。 しかしこのマーケットが、 時間の経過と共に、最終的には、 ![]() 閉じたマーケットというのは、広く一般に開かれたマーケットではなく、逆に、 高い心ざしを持って作り、 高い心ざしを持って買うという、 ある程度の高い知性を持った人々の マーケットです。 その時、 ![]() これが二つ目の課題です。 ![]() ![]() ・まともなものを作り、 ・まともな価格で売るのです。 生産者と消費の関係においては、 ![]() 挟まず、 ひとつの普遍的なビジネスシステムとして、創造していく事。 それを、 ![]() これが、三つ目の課題です。 個人の事業に終わってしまうと、 持続的な産業にはなりません。 これは、いわば事業の経営として、 明晰な頭脳や体力を必要としますが、とても重要な事です。 ![]() これが四つ目の課題です。 もしかしたらこれが一番難しいかもしれませんね。 人の手がかかりますから、どうしてもある程度の労働力を確保しなくてはなりません。 そして事業が継続される為の後継者を育てる。 勿論AIも機械ロボットの使用も視野に入れて、 賢く解決していく事です。 最後に ![]() これが五つ目の課題です。 これも大衆社会を相対化した、 従来の宣伝拡大の手法ではなく、 斬新で深い視点から人間を捉えた戦略、戦術が必要です。 この他にもたくさん課題があるとおもいますが、 とりあえず書きました。 多分専門家から見たら、幼稚で、たりない事だらけでしょうが、 ど素人の私にはこれが精一杯ですので、 後は皆さんの力で、宜しくお願いします。 次の時代の希望の経済として、 心ある人々は、今から準備して、 様々な専門性を持ち寄り、 みんなで寄ってたかって、議論して考えて、作り上げていって下さい。 大衆社会の液状化現象は、さらに断片情報で大衆社会が解体されていく危機を孕んでいるのですが、 どれだけの日本人がそれを危機に思っているのだろうか? 次に、大衆文化の中の日本人の世界観は⁈については、次回書きます。 #
by denshinbashira
| 2023-05-11 08:31
| 終わりを意識して書く
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