大衆社会はなぜ退廃するか、その3.そもそも脳とはどういうものか。 |
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2023年 05月 22日
脳は自らが正義や道徳倫理や正論の答えなどを有している訳ではありません。 私は脳は、その生命体を維持し、保全するセキュリティシステムであると考えます。 人間のセキュリティシステムとして、 文明や文化を作りだしたのだと考えています。 冒頭で書いたように、脳の中にはじめから正義や倫理観や正論があるわけではなく、 脳は外界に反応して、 良き心地を得た事には、それを強化しようとします。 極論をいうと悪いことをしても、そのとき心地良く、快感が走ると、 脳はそれがその生命体には必要であると判断してしまいます。 そして同じような事が続くと脳は、 それがその人間の生命維持に必要な事と勘違いし、それを強化していきます。 つまり悪いことで得た快感は、何度も同じような快感を得ると、その悪い事がその人の中で常態化してしまいます。 例えば嘘をつく事に快感を得た人間が嘘つきの常習になるようにです。 怖いね〜! その反対の事も言えます。 良い事をして快感を得た人は、そこに満足感や充足を得て、そう言う風に生きようとします。 ただ、それも行き過ぎると逆に、 いい人から降りれなくなり、本人が息苦しくなるという事も、起きてきます。 悲しみもね、自己憐憫が快感になると常習化して、 癖になりますよ。 つまり脳は、常に外界に反応しながら、 その人の反応体系=人格を作り出し、 その人の生き方を作り出していると、言う事です。 言い換えれば、その人間の人生の文化と秩序を作りだしている、という事です。 原始的な脳から、長い長い年月をかけて、そういう風に脳が人間の文化や規範を作り出しては、 遺伝子によってそれを子孫に伝えて、 人間が生き延びて来たと言う事です。 そういう風に人間が獲得して来た遺伝子の中に、 高邁な思想や行動に感動するという部位もあるという事です。 このブログでも、何度も書きましたが脳は古い動物の名残りである、本能的欲望と感情の大脳旧皮質と、 それを包み込むようにして発達した、 いわゆる人間の脳と言われる理性を司る大脳新皮質の前頭葉があります。 この二つの脳が、外界に反応しては、その人の心理である心模様を作り出していきます。 問題は旧皮質の、本能的欲望や感情の方が、 新皮質の理性より圧倒的に強い事です。 中でも厄介なのが、他者を否定し、自己を顕示する支配欲や、 所有欲や征服欲、独占欲などで、 人間関係の揉め事の根底には、この感情が潜んでいます。 またこの欲望や感情に取り憑かれた人間が政治の世界に入り込むと独裁者になります。 いわばプーチン氏など、その典型として、もう、見事なモンです。 そういう自分自身を自制してゆくには、シリーズ1で書いたように 自分の意識をしっかり磨き、 その一方で、ネガティブな欲望の手綱をしっかり握っていないと、 人間はやすやすとネガティブな欲望と感情に、乗っ取られてしまいます。 人間はネガティブな欲望や感情の方が強い電流が流れ 時としてそれに快感を感じてしまうのです。 なぜなら、もともと人間は動物であり、 その脳には、自分以外の人間(動物)に対する否定的感情や、 支配感情などの攻撃性が内蔵されているからです。 オルテガは、自由と平等のデモクラシーを獲得しても尚争いが耐えず、 強いもの隷従したり、反対に集団でファシズムに走る事を、 大衆の属性として分析しましたが、 私は、それは脳の動物的な原理と属性だと思います。 つまり、私達は自分の脳の属性を克服しない限り、 デモクラシーは、絵に描いた餅の理念でしかなくなるのです。 そんな中でも日本人は、他国への侵略をしようとする事がない事はないですが、それでも極少の国です。 本当は他国の人達から見れば、羨ましいくらい穏やかな国民です。 しかし、残念ながら日本と日本人は、この間の経済優先の文化の中で、 ウカウカと、 日本人より動物的肉食性が強いグロローバル文化の中に入ってしまいました…トホホ! そしてIT文化の中では、 どんどん日本社会が液状化しています。 果たして私達は、どうしたらいいのでしょうか。 次回はオルテガが書いている、 大衆の属性として、 「自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、 他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、」 と言う事が、 なぜ起きるのかを 書きます。 #
by denshinbashira
| 2023-05-22 05:12
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 21日
戦後の利便的社会は大人が暇になった分、子供の教育へと関心が向けられていきました。 しかしその意識下の動機には、 それはそれとして素晴らしい事なのですが、 その反面、自分の子供達に期待する、かなり歪んだ、出世欲や上昇欲が親達の幻想を掻き立て始めた事も事実です。 本来は大学は、専門学問の 研究機関です。 いわゆる学びの学校とは違うのですが、 にも関わらず、そういう事を理解しないまま、 大学進学がひとつのステータスのように社会に君臨してしまいました。 自分は何を研究しに大学へいくのか、或いはいく必要があるのかの、 という明確な目的意識をもたないまま、大学へ行く…⁇ 皮肉な事ですが、大学受験を目的化した教育は 子供の能力にブレーキばかり掛けてしまう親現象の国になってしまいました。 子供時代の大人に干渉されない無目的な遊びの世界は、 脳がデータを集めるほんとうに大事な時間です。 子供こそ才能の宝庫です。 子供の脳こそ、 既成観念にとらわれず、才能がジャンプします。 逆に親や大人が子供に干渉し介入すればするほど、 子供は自分の知能を発達させるを時間を奪われてしまい、 当然脳は偏って発達してしまいます。 知識が閉鎖的になってしまいます。 なぜ今、日本の人材が育たず、逆に若者が短絡的になっているかは、 知識過多で観念的人間になっている一方で、 脳内の実践データが貧困になっていることです。 実践データは、 脳だけではなく、体で体験しながら、現実を実際に感じとってゆくデータです。 そういう実践データを掴んでないまま成長し、 複雑で困難な事が錯綜する世の中で、 諸々の事を解決していくのは、大変な事です。 戦後教育を総括すると、 多層な大衆社会において、日本人の教育水準を上げるはずだったにも関わらず、 知能が平均化してしまったかもしれません。 もしかしたら若者は被害者かもしれません。 次回はそれでは、 脳とは本来どういうものであるかを、書きます。 #
by denshinbashira
| 2023-05-21 06:11
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 20日
まず、意識と心理から入ります。 心理とは、人間の行為行動を動機づける脳現象です。 人間は殆どを無意識のうちに選択しながら行動しています。 意識は、必要に応じて心理の表面に現れてくる、 その人間の自我の行為行動の説明書であると同時に、 意識的行動を示唆する解決書でもあります。 つまり自分がなぜそのような行動、行為をするかを脳が自分に説明し、 次に進むために、 解決の答えを出していく。 それが意識です。 では本題のオルテガが指摘している大衆の姿として 人間が心の拠り所を無くしたり、 どう生きていいかわからなくなる一つの原因は何かというと、 文明によって、 さまざまなことが用意され、準備されているからです。 人間は体験しながら、経験しながら、考え答えを探して、 意識が賢くなるのですが、 文明が行き過ぎ、さまざまな事を 人間が解決するのではなく、 機械や機器が代行し、 利便性が高まりますが、その一方で、 意識を持って考える事が人間から奪われてしまうのです。 人間の脳の中が空洞化して、 自分では答えが出せない人間になってしまいます。 脳の体験知や経験知のデータの積み重ねもなく、 知識も考察するトレーニングも貧しい人間が、 世の中で彷徨い浮遊するのは当たり前ですね。 現代社会で、これ以上文明が進めば進むほど、 そういう人々が増えていくという事です。 人間は、 意識が知性で磨かれていないと、 ほぼ無意識の欲望や 恣意的衝動で行為し、行動してしまいます。 そういう人々の群れができた時、 小頭がきく小狡い人間が、彼らをマインドコントロールしていくのは、 いとも簡単です。 そういう風に盲目的になっている人々の、 不安心理や感情に甘い言葉を囁き、勘違いさせ、 自分に依存させ利用していくのも、いとも簡単です。 それがファシズムや独裁の始まりです。 現に今、そういうカルト宗教にたくさんの人々が引っ掛かり、 それを政治が利用するという、 本来あってはならないとんでもない事が、この日本ではまかり通っています。 つまり日本ではもうその素地ができつつある、という事です。 ではなぜ日本の大衆は、マインドコントロール可能になってしまったか。 その根本的な原因は様々にあると思います。 どうぞ皆さんも、 それぞれ考えてみてください。 色々と、思い浮かぶ事があると思いますよ。 私が考えるそのひとつは、 戦後のテレビ文化などで、 情報が画一化され、また人々が 自分で考えなくても、それなりに生きてゆける豊かな社会になった事。 脳は危険や危機を感じると、活性化して働きますからね。 余り危機感がない中、 大人達の知性がどんどん稚拙化していったことや、 戦後教育で日本の世の中が、 人材を育て損なった事などがあると思います。 #
by denshinbashira
| 2023-05-20 05:35
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 20日
偉大なる理念としてのデモクラシー、そして主権在民の日本の 大衆が主役となった社会はなぜ、 社会が退廃するのか。 ホセ・オルテガ・イ・ガゼットが「大衆の反逆」を発刊したのが1930年、今から100年弱前の時代です。 労働者階級が主権を持つ共産主義国やナチスなどのファシズムが台頭して来た時代です。 つまり大衆社会をバックに、単一の主義や価値しか認めず、言論統制する歪んだ社会が台頭して来たのです。 そしてせっかくデモクラティックな社会になったのに、反動が起き、ファシスト達の独裁にやられてしまいまいます。 この時オルテガが考えたのは、 すべてにおいての前提である、 大衆社会こそに問題の根があるのではないかと言うことです。 大衆の存在そのものに、原因があると彼は考えたのです。 そして、では大衆とは何かと分析しました。 断って起きますが、 オルテガが指摘している大衆とは、 無名の人々、足を地につけて黙々と働き生きる人々ではありませんよ。 むしろオルテガは、そういう人々を尊敬していましたし、私もそうです。 オルテガが指摘する大衆とは、 みずからを、特別な理由によって、よいとも悪いともせず、 自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、 他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、 そのような人々全部である。 つまり平等という意識によって平均化、画一化され、 独自の考察力や客観性に欠け、他者や集団に同化するを良しとし、 世の動静に流されて、 自分の規範や生きる拠り所をなくし、 根無しの浮き草のように生きる人々です。 こういう人々は、個性のある人間を押しつぶし、こういう人間が権力をもった時、 その凡庸な精神が非凡で秀でた個性を積極的に抑圧していくと、 オルテガは書いています。 なんだか今の日本の現状と似ていませんか。 このオルテガの指摘の中 特に、自分と他人とが同一であるような錯覚は、かなり深刻だと思います。 本当は、人間一人一人がまったく別ものであり、 極論をいえば、断然を介してしかわかり得ないのに、 他者を自分と同じようだと錯覚してしまうこの脳の錯覚が、 もしかしたら人間関係におけるトラブルの大半の原因になっているかもしれません。 ただ私はオルテガ指摘している事は、オルテガが書いているような、 大衆の持つ属性ではなく、 もっと根本的な事として、 脳の原理と属性がもたらすものだと、私は考えます。 そして、これからは、 脳の原理と属性を解析していく事が、 さまざま起きる社会の事象の解決や 統治のシステムをどうするかや、 最終的には、平和をもたらす関係性とはどのようなものか、に繋がっていくと、思います。 少しずつ、わかりやすく書いていきます。 #
by denshinbashira
| 2023-05-20 05:33
| 終わりを意識して書く
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2023年 05月 16日
シリーズ「終わりを意識して書く」は、 私自身の人生の時間がもう余りない事を自覚した上で、 主には 1、これから来るであろうAI社会について。 2、人間の自我の問題=脳の二重性の問題。 3、現代のI T大衆社会の液状化現象の問題 を書いてきました。 更に考察を進める為に、嘗てより読まなくてはいけないなぁ〜と考えていた オルテガの大衆社会論「大衆の反逆」を読み終えました。 大変難解な本でしたが、読み終えて、まず、 私が観察し、懸念していた大衆社会の問題性と、ほぼ一致することに、深い感慨が有ります。 この感慨は決して喜ぶべきものではなく、 その洞察の深さと慧眼によって顕された 人間社会へのある種の絶望感に裏打ちされた警鐘の深さに対する、 嘆息的感慨です。 あゝ、やっぱりそうか、と言う感慨です。 この光景を漱石もドストエフスキーも見ていたのか、と言う感慨です。 ただ、ただね、彼らもオルテガも、 それを、人間の存在の属性の矛盾と考えていますが、 今回私は読んでみて分かったのは、 それはむしろ 脳の原理であり、脳の属性が、 社会へと現れ出ているのだと思います。 この事を少なくとも高い知性を以て理解できる人々が 現れる時、 出口が見えてきます。 そうなるといいですね~。 そうなるように、 できたら、なんとかわかりやすく、書いてお伝えしたいと思いますが 書けるかなぁ〜。 どこから書き始めるか。 今私の脳が、 #
by denshinbashira
| 2023-05-16 20:58
| 終わりを意識して書く
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